機関誌『日本の息吹』特別号【安倍晋三元総理追悼号】にご寄稿頂いた追悼文を
順次ご紹介させて頂きます。
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山下貴司 衆議院議員
平成30年10月1日夜の会議中。私の携帯に見慣れぬ番号の着信があり、何気なしに中座して電話に出ると、聞き覚えのある安倍晋三総理の声で「内閣に入ってほしい」。
まさに青天の霹靂でした。私は当選3回の政務官に過ぎないし、しかも、直前に行われた総裁選では石破茂先生を支援していたことは周知の事実でした。狼狽して「私でいいんですか!」と口走ってしまった私に、安倍総理は、「総裁選のことなら気にしないでいいよ。それより山下さんは私と考え方が一緒だよね。一緒に新しい国創りをしようじゃないか!」とキッパリと仰って下さいました。就任後も、未熟な私は、野党等からよく叩かれましたが、いつも泰然と見守ってくださり、責務を全うすることができました。
大臣の任期を終える日、「私のような者を使っていただき申し訳ない思いで務めておりました。総理、私はお役に立ちましたか。」と伺いました。安倍総理は、びっくりしたような顔で私を見て「当たり前じゃないか」と言って下さり、私は「そのお言葉で報われました。」とお答えして執務室を辞しました。その後も、憲法改正など親しくご指導いただきました。
あの事件の前夜も選挙応援のため岡山においでになり、別れ際、後は託したぞ、という目で見て下さったのが、お別れになろうとは。今後はご遺志に少しでも報いるよう身命を賭して責務を全うするのが後進の使命です。安倍総理、天上から日本をお見守りください。
小堀桂一郎 東京大学名誉教授
安倍晋三氏の遭難は公人の暗殺事件としては戦後最大の衝撃を私共に与へた凶報でした。氏を斃した銃弾が政治的背景を持たない、次元の低い私怨から発せられたものと知つた時は、そんな事でこの世界的政治家が生命を奪はれるといふ不条理に深刻な厭世観に襲はれました。
政治家としての安倍氏には真に世界的な使命があつたのです。思ひ返せば昭和二十六年五月、連合国軍最高司令官の地位を解任されたD・マッカーサー元帥は、米国上院の軍事外交合同委員会に於ける査問に答へて〈過去百年間に米国が太平洋で犯した最大の政治的失策は、共産主義者達がシナに於いて強大な勢力に成長するのを黙認してしまつた事です〉との悲痛な告白とも見るべき証言を行ひました。
この真摯な〈アメリカ誤てり〉の反省にも拘らず、その後半世紀以上に亙つて合衆国政府はジョージ・ケナンの謂ふ〈封じ込め〉ならぬ、その逆の〈関与〉政策を以て中国共産党政権を甘やかし続けました。
この世界史的過誤を修正し、アメリカの対中政策を正道に戻す見識と発言力を有する政治家は安倍氏以外に現代世界には居ない、といふ現実を目撃し、漸く明るい希望の光を認めた矢先での遭難です。
今となつては、安倍氏が樹立した修正路線である「自由で開かれたインド大平洋」構想を継承し、力強く推進してゆく事こそが、故人を顕彰し、その遺志に答へる、最善の追悼に他ならないと考へます。日本国の将来を担ふ政権担当者の覚悟を切望するものであります。
(原文正漢字、正仮名遣は原文のまま)
古森義久 ジャーナリスト
凶悪な銃撃の犠牲となった安倍晋三氏の遺産の巨大さはいま私が報道活動の拠点とするアメリカの首都ワシントンでも十二分に実感された。バイデン現大統領、トランプ前大統領いずれもが追悼の記帳や特別の言明という形ですぐに丁重な弔意を表明した。
連邦議会の上院は安倍氏の「自由で開かれたインド太平洋」構想など国際的な業績への賞賛をこめて特別決議を採択し、氏の悲惨な死を悼んだ。主要な公館の多くのアメリカ国旗は弔意を示す半旗となった。日本よりも明白な形での喪の表明だった。
アメリカでの弔意がこれほどの超党派で広範だったことは安倍氏の対米関係重視の姿勢の発露だったともいえよう。ワシントンを頻繁に訪れた安倍氏とは私自身、膝を交えて語ることも何回もあった。ニューヨーク・タイムズから依頼されて「誰がシンゾー・アベを恐れるのか」という見出しの寄稿記事を書いたこともある。彼の民主主義と対米協調への信奉を私なりに解説した記事だった。
なにしろ氏との知己を初めて得たのはちょうど四十年前、外相秘書官と外務省担当記者としてだった。その後の彼は一貫して日本を正常な国にすることに努めたといえる。アメリカ製の憲法で自国の防衛という国家の国家たる自立機能を抑えられた異端を是正するという目標だった。日本を真の民主的な均衡のとれた独立国家として普通の国にする努力だった。
そのために安倍氏は目前の体制に挑戦した。多数派の意見に反対した。この意味では安倍晋三という指導者は保守ではなく改革派と呼ぶことがふさわしいようにも思える。