2月27日、日本会議首都圏地方議員懇談会・幹事会が開催された。研修会として、ジャーナリストの笹幸恵氏による講演会が行われた。
「防人の挽歌-大和島根を守り伝へむ」と題して行われた講演では、始めに、笹氏が、なぜ戦争・戦史に関心を持つようになったのか自らの来歴を話され、始めは戦史を綴った本で学ぼうと思ったが、やはり現地に行かねば分からないと思い、太平洋の主だった島々を全て巡り、東南アジアの島々にも現地取材、慰霊の旅をするようになったことを紹介された。
講演では、現地で撮影した写真をスライド上映し、ガダルカナル島に立つ日米両国の慰霊碑を触れられた。
日本の慰霊碑は、落書きをされたり、一部が盗まれたり、草に覆い隠されたりしている一方、アメリカの慰霊碑(顕彰碑、記念碑)は、首都の街並みとソロモン海が一望できる格好の場所に建てられており、入り口には守衛もいること。また、何も知らない人が訪れても、どちらの方面で米兵がどのような戦いをし、奮闘したのか、碑文を読めばよく分かるようになっているという。
笹氏は「米国の慰霊碑は、米議会の下部組織が管理しているが、日本の慰霊碑は、国が管理しているものは少ない。ガダルカナル島に於いては、全て戦友会や個人が建てたものです。
しかも、戦友会は次々に解散しており、そうなれば誰が管理するのか。いずれ何の碑であるか分からなくなる。
日本は負けたから、こんな状態で放置されているのですか。これが戦歿者の追悼になり得ますか。
彼らの死を無駄にしないためには、今を生きる私達が本気になって、彼らの慰霊をどうしたらいいのか考え無くてはならない。彼らの慰霊は放置しているのは、今を生きる我々日本人なのです」と訴えられた。
また、海外に眠ったままで未だ日本に帰れずにいる遺骨問題について、
「戦争により海外で亡くなった方は240万人いると言われている。そのうち祖国に戻って来たご遺骨は、概数で113万柱といわれている。そのうち海没で引き上げ不可能なご遺骨は30万、他国の事情で祖国に帰れないご遺骨は23万。実質的に祖国に帰還可能なご遺骨は60万柱ある。
しかし、現在年間1万柱が収容できれば、まだ良いというのが現状。数字で60万といっても、60万人いれば、60万人の人生があり、名前があり、家族があった。戦争が無ければ将来何者にでもなれる可能性を秘めていたわけです。しかし国家に殉じることとなった。その彼らの礎の上に生きている私達にできることは何なのか。考え無ければならない」と問いかけられた。