機関誌『日本の息吹』特別号【安倍晋三元総理追悼号】にご寄稿頂いた追悼文を
順次ご紹介させて頂きます。
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古屋圭司 日本会議国会議員懇談会会長・衆議院議員
狙撃のニュースを受け、参議院選挙応援中だった私は日程をキャンセルして上京。その際の情報で深刻な状況であることを覚悟した。党本部到着後4階の幹事長室に入った瞬間に厳しい現実を実感。その足で富ヶ谷の安倍邸を訪問。御母堂の洋子さまやご遺族にはかける言葉も見つからない。
一言でいって、警察の警備体制は0点だったと言っていい。警察にも平和ボケが蔓延しているのだというやり場のない怒りが込み上げてきた。国家公安委員長経験者として要人警備の在り方を根本から見直さなくては。
安倍元総理とは私が成蹊高校・大学の一年先輩の同窓。学生時代は著名な選手ではなかったが、体育会系の学連事務局長を務めるなどそのセンスはキラリと光っていた。
縁あって安倍晋太郎外務大臣の秘書を務めたが、晋三氏は既に外務大臣秘書官として大活躍をし、拉致家族会の訴えに「これは単なる誘拐ではなく国家によるテロだ。」と主張し、外務大臣に代わり真剣に取り組んでいたことは鮮明に記憶している。
たまたま私が一期先に衆議院議員となったが、その後、晋三氏が初当選以来同志として、同じ保守政治家として、以心伝心で同じ方向を向いて一緒に仕事ができたことは私にとってこの上ない誇りだ。これほどまでに明確なメッセージを発信し、仕事をこなした政治家を私は知らない。
常に目を前に向けて結果を出し、実現していくことが政治家の使命だ。政治家安倍晋三が目指した「真の保守政治」邁進のためその遺志を心に刻み、日本国の名誉のために戦い続けることこそが天上界で眠る安倍氏への供養だ。
井上和彦 ジャーナリスト
あの日私は、筆舌に尽くしがたい悲しみと喪失感、そして日本の将来に対する不安に襲われた。安倍晋三という不世出のリーダーを失い、これから先、日本はどうなってゆくのだろうかと。
安倍元総理の数ある偉業の中で私が最も注目したのが、世界を俯瞰で捉えた優れた安全保障感覚と積極的平和主義に基づくその外交姿勢だった。
厄介な近隣国の威嚇や難癖をものともせず、安倍元総理は国益を見据えた堂々たる外交を展開し、世界のリーダー達を頷かせ、そして導いた。
いわゆる安倍外交は、本来あるべき歴史認識に裏打ちされた国家観に基づいて堂々と展開されたことだった。
世界の名だたる指導者を相手に、威風堂々と渡り合ったあの姿が思い出される。日米同盟を堅固なものにし、米豪印との結束のみならず、安全保障分野における英国との関係を深化させた。さらに本来の友たる台湾に手を差し伸べたことなどは、後世の歴史家からも高く評価されよう。
かつて私が正論新風賞を受賞したとき、その表彰式で安倍総理から真心のこもったビデオメッセージをいただいた。そこに込められた国の護りとその実践者たる自衛隊への思いが忘れられない。私はこのときの心温まるメッセージと幾度か直接いただいたご声援を胸に、これからも日本を取り戻すべく頑張ってゆきたいと決意をあらたにしている。
今は亡き大宰相安倍晋三の御遺志を実現させることは恩返しであると同時に、将来の日本人へのなによりの贈り物となろう。
潮匡人 評論家
最初にお目にかかったのは、安倍晋三・内閣官房長官の時代だった。保守系の勉強会に講師としてお招きしたところ、快諾いただいた。私は会の幹事を務めていたが、人気講師ゆえ、当日は大盛況。おそらく安倍さんの記憶に、当夜の私は欠片もあるまい。
平成二十四年九月十九日、永田町で開催された「安倍晋三決起集会」の壇上、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」発起人として応援演説した私と握手を交わしたのが、二度目にして最後の機会となった。
じつは同年三月に、私が島根県益田市の小中学校で「曽祖父兄弟の話」をした旨、SNSに投稿したところ、安倍さんが「我が山口県のお隣ですね。先日おじゃましました。」と投稿くださった。最近も「貴兄のご見識いつも敬服しています。これからも宜しくお願いします。」とのメッセージを頂戴した。総理在任中も、憲法への「自衛隊」明記案をめぐり。間接的に謝意を伝えられていた。
「決裁文書の書換えは許されない」、「安保法制は中途半端だ」等々、私は安倍政権を厳しく批判した。ときに”正論”は、ひとを傷つける。安倍さんには悪いことをした。
それでも、たった二度しか御本人に会ったことがない私にまで、こうした心遣いをかけたひとだった。
いつか、きちんとお話できる機会もあるだろうと思っていたが、叶わぬ夢となった。
公私ともに、悲しく、悔しい。
于田ケリム 日本ウイグル協会会長
安倍晋三元総理が、暴漢の銃弾により命を奪われました。
私たち日本ウイグル協会は、世界中のウイグル人に代わって、深い哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈りいたします。
安倍先生は、日本国のために最善を尽くした偉大な政治家であると同時に、ウイグル問題の改善に尽力してくださった心ある政治家でもありました。私たちウイグル人の心の支えであった大事な存在がこのような形で命を奪われたことには耳を疑い、言葉も出ません。
報道を受け、世界中のウイグル人が深い悲しみに覆われ、各国にある日本大使館で弔問記帳・供花をしたりして追悼の意を示しています。私たち在日ウイグル人も、銃撃現場や増上寺を訪れましたが、笑顔で元気ないつもの安倍先生の姿を想い起し、悔しい思いが募りました。本当に無念です。
安倍先生は、世界の首脳の中でも、「ウイグル人が自由で平和な日常を送るべきで、その実現のためにできる限りのことをする」との信念を持ち続けたリーダーでした。「日本ウイグル国会議員連盟」の設立、首脳会談や国連等の国際舞台でウイグル問題を発信し続けたこともその信念と意志の証として歴史に残ることでしょう。とくに東大大学院に留学中、一時帰国した中国で拘束されたトフテイ・トゥニヤズさんの解放を胡錦濤主席に直接訴えられたことは忘れがたいものがあります。
ウイグル人の苦しみに寄り添う本物の政治家として歴史に名を刻まれた安倍先生は、私たちウイグル人の心の中で生き続けます。