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【追悼・安倍晋三元総理/ご寄稿文①】 平沼赳夫氏、有馬哲夫氏、伊藤哲夫氏、伊藤俊幸氏

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機関誌『日本の息吹』特別号【安倍晋三元総理追悼号】にご寄稿頂いた追悼文を
順次ご紹介させて頂きます。

◆「特別号」(1冊600円 送料実費)をご希望の方は、下記お問合せフォームよりお申込み下さい。
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※ご入会頂いた皆様には【初回号として】「特別号」をご送付します。
 入会申込みはこちらから→https://www.nipponkaigi.org/member

平沼赳夫 日本会議国会議員懇談会顧問(前会長)

 安倍元総理の政治の核

 安倍晋三元総理大臣に心から哀悼の意を表します。

 真の保守の政治家として、皇室の問題、憲法の問題、安全保障の問題、教育基本法の問題、夫婦別姓の問題とあらゆる事に気を配り、真っ当な日本を取り戻すため着実に実行し、尽力してくれました。彼が首相の時、日本維新の会を代表して予算委員会の質問に立ちました。若い議員も多かったので、相当細かい質問を致しましたが、彼は真摯に耳を傾け、彼の知識も加えてくれ、私はその時、本当に憲法のことをよく勉強していると感心し頼もしく思った事を思い出します。

 私自身は、病を得たとは言え、憲法の事をやり残したまま政界を引退せねばなかった事は断腸の思いでございましたが、安倍晋三という真の保守政治家の存在があればこそ安心して引退をする事が出来ました。

 今の政治家の中に安倍元総理程の高く深い見識を備えている保守政治家がどれ程いるでしょうか。そのことを思うと安倍元総理を失った事はこれからの日本にとって測り知れない大きな損失と言わざるを得ません。安倍元総理の政治の核を受け継げる存在がある事を願うばかりです。

 安倍晋三元総理大臣の冥福を衷心よりお祈り申し上げます。

有馬哲夫 早稲田大学教授

 私たちの晋三だった

 安倍晋三氏は本当に亡くなったのだろうか。なんかの拍子に、「やあ、元気でしたか」と、あの笑顔でどこからかひょっこり出てきそうな気がする。テレビでは今でも毎日、安倍氏のこぶしを握り締めて演説する姿や外国の要人とにこやかに話す姿が流れる。もういなくなったのだという実感がない。

 地下鉄大門の駅から増上寺まで続いた様々な服装をした老若男女の弔問客の中に私もいた。地方から来たという人も多かった。みなうつむいて涙を浮かべていた。マスコミはいつも叩いていたが、安倍氏はこんなにも一般国民に慕われていた。私たちの晋三だった。

 野党とマスコミと戦いつつ、憲政史上最長の八年八カ月総理大臣を務めた。毎日、毎日、親や子供の顔を見ない日はあっても、晋三の顔を見ない日はなかった。あの手振り、あの言葉、あの顔。晋三はいつも私たちのそばにいた。日本を一緒に取り戻そうといい続けていた。ああ、晋三は今日も元気だ、頑張っている。じゃ、私たちもなにかしなくては。そんな毎日だった。野党がなんといおうと、マスコミがなんといおうと、晋三と私たち一般国民の心は通い合っていた。

 私たちは、どこへいけば彼と再び会えるだろう。いや、彼はどこへもいってはいない。ただ、目を閉じればいい。彼はいつもそこにいる。彼の声、仕草、笑顔を思い出しさえすればいい。晋三は、いつまでも、いつまでも、私たちの心の中で、生き続けていく。

伊藤哲夫 日本政策研究センター代表

 必ずやこの「志」は継承される

 安倍元総理は日本再生への希望の星でした。しかし、その元総理はもはやいない。恐らく日本中の心ある人々が、今もその衝撃から脱け出せないでいるに違いありません。

 私が安倍元総理と初めてお会いしたのは二十七年ほど前のこと。今もその時のことを思い出すのですが、いかにも品の良い細面の外見に似ず、日本再生に向けた強い意志と覚悟が印象的でした。その後、元総理は中川昭一氏や衛藤晟一氏とともに「日本の歴史教育と若手議員の会」を設立し、歴史認識の戦いに立ち上がっていくのですが、それが元総理にとっての、最初の本格的な戦いの場となったように思います。その頃中川氏が年長であるにもかかわらず、「自分はいつか安倍ちゃんを総理にするんだ」と、楽しそうに話していたのを忘れることはできません。

 この戦いは、まさに朝日新聞との戦いでもありましたが、他方、歴史といえば反省と謝罪で思考停止となっていた自民党主流との戦いでもありました。兼原信克氏のいう「敗戦、冷戦、高度成長の途中で時計が止まってしまった古い日本」に他なりません。しかし、この戦いは冷飯覚悟の若手の戦いだったにもかかわらず、いつの間にか元総理を党の中心に押し上げる力ともなっていきました。

 もはや安倍元総理のいない日本。しかし、元総理のこの「戦い」を瞼に強く焼き付けた若者の中から、必ずや新たな戦いの芽が出てくる、というのが実は私の確信です。一日も早いその日を信じ、私も頑張る覚悟です。

伊藤俊幸 元海将・金沢工業大学大学院・(虎ノ門キャンパス)教授

 自衛官の気持ちに寄り添った最高指揮官

 安倍晋三元首相がご逝去されました。

 安倍元首相は、内閣総理大臣が「自衛隊の最高指揮官」であることをよく理解され、それにふさわしく行動された首相でした。防衛庁を省に昇格してくださったことも感激しましたが、陸海空自衛隊の部隊指揮官が官邸で行う就任・離任時の総理挨拶においても、親しく言葉をかけていただきました。また、自衛隊記念日や防衛大学校卒業式などの訓示でも、現場の自衛官の名前や行動を例示し、ご自分の言葉で話されました。

 一方、国会では書類をほとんど見ずに答弁されたように、国家安全保障戦略や防衛政策、特にその法理論について、国会議員としては一番熟知されていました。「軍隊ではない」といわれながらも、世界で十分通用する実力を自衛隊は持つようになりました。その自衛隊が有事やグレーゾーン事態において、適切に働くためには立法措置が必要であるとして、議員として一連の安保法案に関与されてきたのです。そして首相当時の集団的自衛権行使を容認する「安全保障関連法」は、内閣支持率が下がることを覚悟の上で決断されました。

 また、憲法改正として「自衛隊明記」論を安倍元首相は提示されました。本来なら9条全てを改正し、独自の条文にすべきでしょう。しかし安倍元首相は、いまだに「自衛隊違憲論」があることに「終止符を打つ」との強い決意を持っておられ、ある意味「自衛官の気持ちに寄り添った提案」だったともいえましょう。

 元自衛官として御礼申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。

◆関連記事 日本会議「安倍晋三元総理への追悼の言葉」
http://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/14969 


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