機関誌『日本の息吹』特別号【安倍晋三元総理追悼号】にご寄稿頂いた追悼文を
順次ご紹介させて頂きます。
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石橋林太郎 衆議院議員
広島県議として熱心に「国旗・国歌」「歴史教科書」「ジェンダーフリー」などの諸課題に取り組む父の背中を見て育ち、後を継いで政治の世界に飛び込んだ私にとって、安倍晋三先生は常に保守陣営の先頭に立つリーダーであり憧れの存在でした。
年明けに、お世話になっている方のお誘いで先生に面会する機会がありました。とても緊張しましたが、初めてお目にかかる先生は、物腰も柔らかく気さくに色々とお話をして下さいました。自民党のリベラル化を危惧されていたのが強く印象に残っています。
自民党若手による「責任ある積極財政を推進する議員連盟」(https : //sekkyokuzaisei.jp/)の勉強会等でも近しくお話を伺う機会がありました。ご自身の反省も踏まえPB黒字化目標や国債60年償還ルールの見直しなどを主張され、一刻も早くデフレを克服し経済成長を実現しなければならない、と熱っぽく語られていました。また、防衛力について、強化を急がなければいけない、と強い危機感をお持ちでした。
「戦後レジーム」から脱却し日本人自身の手で日本を築くため八面六臂の活躍を続けてこられた安倍先生。ご縁が出来た矢先の突然の死を受け容れるにはまだ少し時間がかかりそうです。
短い時間ながらも直接ご指導頂いた感謝を胸に、皇位の安定継承、憲法改正、防衛力強化、デフレからの脱却等の課題にしっかりと取り組み、美しい日本を次世代に守り伝えるべく愚直に活動して参ります。
安倍晋三先生、本当にありがとうございました。
保積秀胤 大和教団教主
七月八日、参院選遊説中凶弾に倒るの驚きの報道が国内外に走った。日本にとり世界の国々にありてもかけがえのないリーダーを失った。米国、中国、ロシアを始め何れの国の代表者と相交えても何ら臆することなき姿は日本歴代総理を超えるものであった。
その姿は日本の国を愛し、天皇陛下を真中に仰ぐ尊き国柄への絶対の信と誇りをもたれての姿でもあり、その姿にこそ敬意と信頼を得るものであった。
祈りの一文に、「現身こそ身退りては土に帰り霊魂は常久に消ゆる事無くて神と為るものにしあれば」と。この祈りのごと安倍晋三元総理の現身は幽身となりしも、その精神は消ゆることなく、我が国を護られ私共を力強く導かれるであろうことは誰しもが信念すものであろう。此の世では為し難きものでも彼の世では為し得る力となるを。
安倍晋三元総理の国を愛する精神、国民を護る精神の霊種は必ずや多くの人々に引き継がれ育ちゆくものと断ずるものである。
北朝鮮拉致問題にてもその解決の為に日夜努められてこられた。
私共教団も新宗連加盟教団の理解と協力を得て、国民の多くの人々に知らしめるべく活動を展開、再々の政府への嘆願をさせて頂いた。平成二十九年三月十五日には、首相官邸にて安倍総理に「北朝鮮による日本人拉致被害者の即時帰国を求める要望書」をお渡しさせて頂いたことは、今後の活動のお守りとするものである。
これよりも神成就の力強きお導きを乞い祈(の)むものである。
松井嘉和 大阪国際大学名誉教授
世界の多数の国々が異国の現職ならぬ元首相の逝去に深い敬意の籠つた弔意を寄せたのはなぜだらうか。平成二十七年の米国連邦議会での安倍氏の演説が歴史修正主義者だとの風評を吹払ふ程の感銘を与へたとは仄聞してゐたが、その他の国々での安倍氏の演説とその評価がわが国で殆ど報道されないことには奇異の感が消えない。
拉致事件に最も真摯に対応したのは代議士ならぬ元外相の厳父の秘書であつた安倍氏だと聞いてゐる。当時、報道も行方不明者と表現するだけで、「ら致」と言ふやうになつたのは、平成十四年小泉訪朝で彼国が拉致を認めてからだ。
しかも、被害者の帰国は一時帰国の約束だと主張したわが外務省の高官がゐたことには唖然とした。安倍氏なかりせば、掠われた人々は故郷帰還はならず、地獄へ戻されてゐたのである。
曾てポーランドで八ヶ月間ポーランド語を学んだ時、同じクラスにゐた北鮮の青年は一九三九年のソ連のポーランド侵略を信じようとせず、「社会主義者がする筈がない」と言つてゐた。それはまたわが国の政治家の拉致事件の認識だつたのではないか。
安倍氏は「筈がない」とする迷妄を打破してくれたのだ。なぜそれが可能だつたのか。昭恵夫人が言及された吉田松陰「留魂録」の四時の説そして安倍氏が在野の時、昭和天皇の次の御製で講演を結んでをられた意味に解答を求めて慰霊を果したいと思ふばかりだ。
ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ
松ぞををしき人もかくあれ
(正仮名遣、原文のまま)
松浦光修 皇學館大学教授
安倍さんの葬儀のさい、昭恵夫人は、あいさつの最後に、「種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう」とおっしゃいました。いうまでもなく、その言葉は、安倍さんが尊敬していた吉田松陰の『留魂録』の一節を踏まえたものです。『留魂録』といえば、私は平成二十四二月、安倍さんに自著『新訳留魂録』を、直接お渡する機会があったのですが、安倍さんは本を見るのと同時に「あっ、松陰先生の本ですね」とおっしゃいました。あくまでも「先生」なのです。
令和元年七月、伊勢におこしになったさいにも、こういう話があります。安倍さんと若者たちとの昼食会があったのですが、安倍さんは、若者たちに次々と語りかけていかれ、やがて私の教え子の女子学生の番がきて、彼女が「私は、松浦先生のもとで、松陰先生の勉強をしています」と言うと、安倍さんは、隣にいた三重県知事(当時)・鈴木英敬さんに「今、”松陰先生”って言ったよね!」とおっしゃり、急に元気になられました。
そして、そのあと予定を三十分ほどオーバーして、語りつづけられたのです。その時、安倍さんは、暗記されていた松陰先生の和歌を、若者たちの目の前で朗誦までしてくださっています。
松陰先生は、高杉晋作に「死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし」と書き送っています。その時、若者たちに安倍さんは、「私には松陰先生のマネはできない」とおっしゃっていましたが、きっと今ごろ、天上界で松陰先生は、安倍さんを「不朽の人」として、お迎えてくださっているのではないか、と思います。