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【追悼・安倍晋三元総理/ご寄稿文21】阿達雅志氏、竹本忠雄氏、田中恆清氏、田中秀雄氏

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機関誌『日本の息吹』特別号【安倍晋三元総理追悼号】にご寄稿頂いた追悼文を
順次ご紹介させて頂きます。

◆「特別号」(1冊600円 送料実費)をご希望の方は、下記お問合せフォームよりお申込み下さい。
 お問合せフォーム→ https://www.nipponkaigi.org/inquiry/ 

 ※必須項目と郵便番号・住所、内容欄に「特別号希望」とご入力下さい。
  「折り返し、ご入金方法をご案内します(先払い)」
  「お知りになった切っ掛け」「ご年齢」もお知らせ頂けますならば幸いです。

※ご入会頂いた皆様には【初回号として】「特別号」をご送付します。
 入会申込みはこちらから→https://www.nipponkaigi.org/member

阿達雅志(あだち まさし) 参議院議員

安倍外交の功績

 安倍晋三元総理が銃撃された一報を聞いたときには、言葉を失いました。安倍元総理とは私の妻が又従兄弟の関係にあり、自民党山口県連でも親しくご指導頂いてきました。

 自民党外交部会長として、安倍総理のところに行くと、必ず、「我が国の名誉と国益を守るための戦略的対外発信」を具体的にどのように進めるかという話になりました。また、私が菅政権で外交担当の総理補佐官になって以降は、折に触れ、安倍元総理に呼ばれ、菅外交について質問を受け、「菅総理に伝えておいて」という形で助言を頂きました。

 私を介したのは「外交は政府の専管事項」ということで遠慮されたのだと思いますが、総理を退任されても常に「世界の中での日本」を心配されていました。

 安倍外交の功績は非常に大きなものがあります。第一に、戦後最悪であった日米関係を修復し、日米同盟を強化したことです。特定秘密保護法、国家安全保障会議創設、平和安全法制によって集団的自衛権が一部可能となり、日米同盟の強化、東アジアにおける抑止力の維持に大きく資することとなりました。安倍総理がいなければ東アジアの平和は崩れ去っていたでしょう。

 第二に、埋没しかけていた日本外交の存在感を大きく高めました。「地球儀を俯瞰する外交」では、在任中に述べ175ヶ国を訪問、首脳会談は延べ1075回に及びました。そうした中で、中国の課題・問題点を世界と共有し、「自由で開かれたインド大平洋」構想を国際社会に提示しました。まさにグローバル・リーダーでした。

 国際秩序が大きな挑戦を受けている今日、安倍外交の継承は残されたものの責務です。

竹本忠雄 筑波大学名誉教授

 安倍元首相が果たし切れなかった約束

 「信なくば立たず」を銘に道義国家日本の面目を世界に顕揚した安倍元首相が、「信(まこと)」を五常の最高徳目に掲げたことで中国の儒教思想を打破した聖徳太子の奈良で斃(たお)れた――この悲報に接したとき、すぐ頭に浮かんだのはマルローの「私が愛する日本は永遠の日本、即ち奈良の日本だ」との言葉だった。悲劇のかげに何か巨大な車輪が一回転した。歴史的大宰相の死は「日本を取り戻す」原点を啓示してやまない。

 「国葬」と聞いて、戦前派の私は山本五十六元帥のそれを想起した。当時、世界中が日本の敵だった。こたびは、世界中から哀悼と讃辞が呈されている。天地の径庭とは、これか。

 それだけにまた、残された課題が重くのしかかる。「安倍晋三を総理にする文化人の集い」発起人の一人として私は、氏の第一回総理就任時の靖國神社参拝への消極姿勢をただしたことがあった。これに対して即座に産経新聞一面トップに「後悔している。今度こそは」との決意表明が寄せられたが、結局、第二次安倍内閣のときの一回だけで終わってしまった。それほど反対岩盤層は強固なのであろう。が、元総理の明察した近時必来の台湾即日本有事にさいして、殉国の英霊二百四十六万六千余柱の加護なくして勝利は叶わぬこと必定である。

 安倍元首相が果たし切れなかった約束を果たすべき時が来た。霊性文化的見地からすれば、日本の存続はこの一点にかかっている。

田中恆清 神社本庁総長

 安倍元総理が護られた皇位継承の歴史と伝統

 安倍元総理は確固たる国家観を持ち、連続在任日数、通算在任日数ともに憲政史上最長記録を打ち立て、長らく我が国のリーダーとして私たち国民を導いて来られました。此度の訃報はまさに寝耳に水であり、衷心より哀悼の意を表する次第です。

 安倍元総理の御功績は挙げれば枚挙に暇がありませんが、殊に斯界に大きく関はる点で申せば、安倍元総理の下で、長い皇室の歴史・伝統の中で一度たりとも前例のなかった女系天皇への途を開きかねない皇室典範改正議論やいはゆる「女性宮家」創設論議が食ひ止められてきたことであります。

 小泉政権下の平成十八年、まさに皇室典範改正が議論されんとする矢先に悠仁親王殿下の御誕生を迎へ、後を受けた安倍総理は即座に有識者会議の報告書を基にした女系天皇の議論を白紙撤回されました。民主党野田政権下の「女性宮家」創設論議においても、皇位継承問題とは切り離すとの答弁を引き出され、政権奪還後は「男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重みを踏まへる」との皇室の歴史と伝統に即した皇位継承の在り方を模索されて来られました。このことが「現在の皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」との現政府の方針に引き継がれてゐることは論を俟ちません。

 突然の訃報に接しただただ残念でなりません。これまでの数々の御功績にあらためて感謝の意を捧げますとともに、安倍元総理の御霊の安らかならんことを謹んでお祈り申上げます。(正仮名遣、原文のまま)

田中秀雄 歴史家

 愛国者の宿命

 私が日本の近代史研究を志すきっかけとなったのは三島由紀夫の自決である。十八歳の時だった。大学に入れば、連合赤軍事件が起こった。何でこんな事件が連続するのだろうと、九州の田舎から出てきたイモ学生は思ったのだ。

 それから時間も経ち、自分の歴史観も定まる頃、颯爽と登場してきたのが安倍晋三氏だった。自分と二歳しか違わない年下のスマートな政界サラブレッドである。政党としては自民党支持というだけで、特に応援する特別の政治家はなかった。それもそうだ。慰安婦問題でひたすら謝罪するだけの政党に何が期待できようか。

 しかし安倍氏や中川昭一氏は違っていた。彼らは骨があるぞと思ったのは同世代という理由だけではない。歴史を素直に研究すると、日本が悪いことばかりした国とは思えない。朝鮮でも、中国大陸でも、南方でも。しかし悪いことをしたという世論は”常識”として、今もかなりの勢力がある。憲法改正が悪いのは、昔の悪い日本に戻るからなのだ。

 そうではないと私のように書くだけなら容認されるが、現実の社会や政治に反映させるとなると大変な逆風が吹きつける。安倍氏はこれに果敢に挑んだ。挑まなければ日本は弱体化するだけなのだ。政治家として、様々に思惑の違う人をまとめていく、余人には代えがたい、たぐいまれな現実変革力を彼は持っていた。戦略眼もあった。惜しまれてならない。

 彼が「国のまほろば」、奈良市で斃れたのは愛国者の宿命だったのだろうか。


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